原爆、2度も被曝した人々

「そんな、まさか!長崎と広島はかなり離れているんですよ」そうなんです。彼らの手記を読んだと時”やらせ”だと思いました。でも調べてみると、これは事実でした。広島で1発の爆弾でこんなにも人が死ぬ、その爆弾が長崎に落ちるとは、予想すらできなかったのではないでしょうか。当初、私は「運が悪かった人々」というタイトルで、ブログを書くつもりでした。でも色々と調べ、このブログを書くうちに、運ではないなと感じるようになりました。このブログを読んで、皆さんにも考えていただきたいと思います。

8月9日朝、広島の被曝者は長崎へ向かう

私が、この手記を読んだとき、「よっぽど運に見放された人いるんだな!」と言うのが実感でした。でも読み続けていくうちに、運が悪いのではないのではないかと感じるようになりました。2つの町に行かざるを得ない人々は、原子爆弾と言うものを知らなかったし、たった一つの爆弾でこれほど、人が死ぬとも思っていなかったのだと思います。私は決して「運が悪かったのではない」その根拠について論じたいと思います。
「広島から逃げ延びてきたはずの長崎で、広島と同じ光景を見るとは思わなんだ。」これまで、国による調査と保存は行われていません。広島と長崎2つの町の地獄を見ている人は、163人いたと言われています。なぜ、広島と長崎2つの町を行き来しなければならなかったのでしょうか。軍からの命令で広島へ行って、命からがら長崎に戻ってきました。これを単純に偶然で2つの不幸が2回連続で起きたと言っていいのでしょうか。私はそういった片付け方をしてはいけないのではないかと思うのです。
古くから貿易と造船の町として栄えてきた港町、長崎。戦後81年多くを語られてこなかった2重被曝について考察したいと思います。

3日間で2度被曝した男

広島と長崎の2度、原子爆弾炸裂を目のあたりにし、3日間で2度の火の玉を見たひとがいます。長崎三菱造船所株式会社に就社し設計士として働いていたNさん、29歳の時広島で原爆を経験し顔と左腕にひどいやけどを負いながら、2日間の列車で長崎に向かい広島での被害状況を報告いたしました。上司は「君も相当やられてんな、でもどうして一発の爆弾で全滅するんや」との報告のさなか、長崎の原子爆弾がさく裂しました。原子爆弾がさく裂した際、咄嗟に机の下に潜り込んで一命をとりとめたと言います。爆心の近くにあった家はもうありません。人間もいませんでした。彼の息子も巨大な火の玉を見たと言います。その両方に見舞われた人がいる。その日「ただ家族のもとに帰ってきただけなのにどうして、父は2度も原子爆弾に合わなけりゃいけなかったのか、なぜ父でなければならなかったのか」と。
Mさんは、広島の工場に異動を命じられます。軍の計画に従って輸送船を量産するためでした。そのさ中、社宅で被爆し怪我はなっかったと言います。そのまま5日には長崎に戻ってきました。爆心地から2㎞のところにいました。新型爆弾の話を聞いた時、たどり着いたふるさと(長崎)は一帯が焼け野原、実家も瓦や壁が覆いかぶさり手に着けようがなかったと言います。戦後も造船所で働いた彼は、2度と被曝について話すことはありませんでした。家族にさえも沈黙を続けたと言います。なぜなら「原爆に合ったこともない人に話してもわからないだろう。」と。

2重被曝その記憶を抱えて生きる

25才の時結婚し、夫の故郷である青森に住んでいるKさん、Kさんは造船マンだった父の転勤で19年に広島に住み、弟と3人暮らしでした。父が徴集され、弟と2人きりになりました。その日の朝、弟と喧嘩の最中に原子爆弾がさく裂します。その日晴天だったのに、急に夜のように暗くなり熱風が吹きつけてきました。ただ”ピカー“”と光っただけなのにーーーー。崩れた家から抜け出して、町を見渡すと一面死の海でした。その街を歩いていると焼けただれた皮膚が垂れ下がっている人がたくさんいました。私は弟を連れて、親戚のいる長崎に向かいました。しかし市内には入れず、弟の手を引いて歩きました。行けども行けども黒こげの死体ばかり、「この世の地獄はどこまで続くんだろうか。14歳の夏、弟と2つの町を歩いた自分、2重被曝を経験した人は、いったいどれだけの人が地獄に遭遇したのだろいか。」と思わざるを得なかったと言います。
被爆者と社会的状況を調べてみると、長崎には高度な造船技術があり、広島は少ない資材にのなかで無理な生産体制を組んでいました。長崎の造船技術のノウハウを広島に伝えるということで白羽の矢が立ったのは当然のことだと思います。広島で被爆することになったとしても、ふるさとが長崎のならば長崎に帰りたいと思うのが、当たり前のことだと思います。結果的に2度目の被曝をしてしまうというと、全体の中から見れば、ものすごく小さな人数かも知れないが、2つの町を行き来しなければならなかった人がいたということです。

2重被曝は不運によるものではない

2重被曝派遣して不運によるものではないと思います。具体的に言えばだれが2重被曝を受けるかを見てみれば偶然にしか過ぎないようですが、しかしその状況、その者は別の人間が作っているのです。結局のとこと1つの原爆落とされてもなお、戦争を継続したことが2重被曝者を生んでいるわけです。単純に偶然の2つが連続で起きたという風な片付け方では、被爆者は納得できないのではないでしょうか

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